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お葬式コラム
般若心経とは。全文の読み方や現代語訳をご紹介。
お葬式や法要では、僧侶による読経が行われます。僧侶が読み上げるお経は漢字ばかりで意味がわかりにくいものですが、亡くなった人はもとより、生きている人たちも幸せにする教えがつまっています。お経の内容や意味を知ることは、故人だけでなく、参列者の功徳にもつながるのです。
今回はお経のなかでも有名な「般若心経」を取り上げ、〈般若心経とは〉という基本から日本語訳や理解するためのポイントなど、じっくりご説明します。
般若心経はお経のひとつ。では、お経とは?
「般若心経」は、お経のひとつ。では、「お経」とはどのようなものでしょうか。
「経典」「仏典」「経」とも呼ばれるお経は、〈お釈迦さまの説法をまとめたもの〉であると知られています。しかし、お釈迦さまご自身が書いたものではなく、お釈迦さまの弟子たちがそれぞれに聞いてきた教えをまとめた「仏典結集(ぶってんけつじゅう)」です。そのため、お経は〈わたしはこのように聞いた〉という意味の「如是我聞(にょぜがもん)」などの言葉からはじまっています。
お葬式や法要など、わたしたちが日頃から目にするお経は漢字で書かれています。しかし、お釈迦さまが仏のさとりを開いたのはインド。お経はもともと、インドの古い言葉であるサンスクリット語で記されていました。その後に仏教が中国へ伝来し、中国語に訳されます。その漢訳が日本に伝わったため、日本においてのお経は漢字で書かれているのです。
とはいえ、すべてのお経がインド起源ではありません。中国や日本で生まれたものもたくさんあります。その数は膨大で、現在でも正確なお経の数は把握されていないそうです。
お経の種類「三蔵」とは
お経は書かれている内容から「経」「律」「論」の3つに分類され、これらは「三蔵(さんぞう)」と呼ばれます。
●経蔵:お釈迦さまが説いた教えをまとめたもの
●律蔵:僧侶や信者、教団の規則や生活様式などをまとめたもの
●論蔵:経や律を研究し、注釈・解釈などをまとめたもの
お経はもともと三蔵のひとつである経蔵でした。しかし、歴史のなかで大乗仏教が起こり、発展したことで大乗仏教の経典が数多くつくられていきます。そこから三蔵の構造が崩れて曖昧になってしまったため、三蔵全体をひと括りにして「お経」や「経典」というようになったとも考えられています。
ちなみに、この三蔵に精通した僧侶は「三蔵法師」と呼ばれ、有名な中国の小説『西遊記』の三蔵法師(玄奘三蔵)は数多くいる三蔵法師のなかのひとりです。
般若心経とは、さとりを開く真髄を教えるお経。
「般若心経」は「はんにゃしんぎょう」と読み、数多くあるお経のひとつ。正式名を「般若波羅密多心経(はんにゃはらみったしんぎょう)」といい、さらに略して「心経(しんぎょう)」と呼ばれることもあります。
般若心経は、大乗仏教の経典です。大乗仏教はお釈迦さまが亡くなってから500年以上経過したころに起こった宗教で、さまざまな流派があったといわれています。そのなかの一派がお釈迦さまの教えを受け継ぎつつ、別の解釈も加えた「般若経」というお経をつくります。大乗仏教が広まる長い歴史のなかで、多くの般若経が生まれます。そのなかのひとつが、般若心経というわけです。
般若心経の正式名・般若波羅密多心経という文字を紐解くと、般若は「智慧(ちえ)」、波羅は〈彼岸〉、密多は〈到る〉を意味し、「彼岸に到る=仏のさとりの世界へ渡る」ことを表しています。そして、心経の心は〈特別なもののまとめ=真髄・心髄〉、経は〈教え〉。つまり、般若心経は「さとりの世界へ到達するための智慧の真髄を教える」お経なのです。
真髄を教えると表現されている題名からもわかるように、般若心経は短いお経です。日本で広く読まれているものは、玄奘三蔵が訳した般若波羅密を説く般若経が原書だといわれていますが、こちらは600巻からなる経典。すべてを読み解くのは、とても大変です。
この膨大な経典から、中心となる思想を簡潔にまとめたのが般若心経です。わずか300字弱の文字数に仏教の真髄となる教えを凝縮し、仏教なかでもっとも短いお経だといわれています。
般若心経の教え
般若心経の原書である般若経の中心思想は「空」。この「空」は〈空っぽ〉という意味ではなく、〈すべてのものには実体がない〉とする空(くう)の観点として説かれています。つまり、わたしたちが今あると思っている〈この世のあらゆるものは、絶対的に存在しているわけではない〉という考え方です。
般若経の思想をまとめた般若心経には、「色即是空、空即是色」という有名な一節があります。ここで表現される「色」は〈この世に存在する物質的なもの〉で、「空」は〈実体のないもの〉。意味を読み解くと、〈この世にある色やカタチがあるものは実体として存在しているのではない。実体がないからこそ、それぞれが色やカタチをもって存在できる〉となります。
この「空(くう)」という〈実体がない〉概念は〈無〉にも通じ、苦しみや執着をなくしたさとりの境地ともいえます。また、実体がなく定まったカタチがないというのは、〈何ものにもとわられない〉自在さがあるということ。固定観念や既存の価値観にとらわれるのではなく、自由な心で考え、物事を自在に見ていくことの大切さを般若心経は教えてくれているのではないでしょうか。
般若心経を用いる宗派
仏教には宗派があり、日本の伝統仏教には十三宗五十六派が存在しています。歴史のなかで分派していった宗派はそれぞれに宗祖や本尊が異なり、拠りどころとする経典にも違いがあります。仏教の真髄をまとめた般若心経は多くの宗派で読まれていますが、すべての宗派が採用しているわけではないことを覚えておきましょう。また、般若心経を読む宗派であっても、それだけを拠りどころにするわけではなく、ほかのお経も用いて教えを説くのが一般的です。
●般若心経を読む宗派
・天台宗
・真言宗
・浄土宗
・臨済宗
・曹洞宗 ……など
●般若心経を読まない宗派
・浄土真宗
・日蓮宗 ……など
般若心経は、修業によって智慧を得てさとりの世界に到る〈自力の教え〉です。一方、浄土真宗は阿弥陀如来によって導かれる〈他力の教え〉であるため、般若心経を唱える必要がありません。日蓮宗もお題目を唱えることで即身成仏ができると考えられている宗派で「法華経」がすべての教えとされているため、ほかの経典である般若心経を読む意味がないのです。
「色即是空 空即是色」は知っているけど…般若心経の全文と読み方。
般若心経は8種類の漢語訳があるといわれています。8種のなかで、日本で普及したのは玄奘三蔵が訳した「般若波羅蜜多心経」。その全文を読みとともにご紹介しましょう。
般若心経の全文(漢文)と読み方
仏説 摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶっせつ まかはんにゃはらみったしんぎょう)
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)
照見五蘊皆空 度一切苦厄
(しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)
舍利子 色不異空 空不異色
(しゃりし しきふいくう くうふいしき)
色即是空 空即是色
(しきそくぜくう くうそくぜしき)
受想行識亦復如是
(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
舍利子 是諸法空相
(しゃりし ぜしょほうくうそう)
不生不滅 不垢不浄 不増不減
(ふしょう ふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
是故空中 無色 無受想行識
(ぜこくうちゅう むしき むじゅそうぎょうしき)
無眼耳鼻舌身意 無色声香 味 触 法
(むげんにびぜっしん い むしきしょうこうみそくほう)
無眼界 乃至無意識界
(むげんかい ないしむいしきかい)
無無明亦 無無明尽
(むむみょうやく むむみょうじん)
乃至無老死 亦無老死尽
(ないしむろうし やくむろうしじん)
無苦集滅道 無智亦無得
(むくしゅうめつ どう むちやくむとく)
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
(いむしょとくこ ぼだいさった えはんにゃはらみったこ)
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
(しんむけいげ むけいげこ むうくふ)
遠離 一切顛倒夢想 究竟涅槃
(おんりいっさいてんどうむそう くきょうねはん)
三世諸仏 依般若波羅蜜多故
(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ)
得阿耨多羅三藐三菩提
(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
故知般若波羅蜜多
(こちはんにゃはらみった)
是大神呪 是大明呪
(ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ)
是無上呪 是無等等呪
(ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)
能除一切苦 真実不虚
(のうじょいっさいく しんじつふこ)
故説般若波羅蜜多呪
(こせつはんにゃはらみったしゅ)
即説呪曰
(そくせつしゅわつ)
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶
(ぼじそわか)
般若心経
(はんにゃしんぎょう)
般若心経を日本語で読める? 日本語訳の書き下し文
般若心経には日本語に訳した「書き下し文」があります。少しわかりやすくなっているので、むずかしいと敬遠せずに読んでみてください。
般若心経の書き下し文
仏説 摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、
五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず。
色はすなわちこれ空なり、空はすなわちこれ色なり。
受・想・行・識もまたまたかくのごとし。
舎利子よ、この諸法の空なる相は、不生にして不滅、
不垢にして不浄、不増にして不減なり。
この故に、空の中には、色もなく、受・想・行・識もなし。
眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、色・声・香・味・触・法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。
無明もなく、また無明の尽くることもなし。
乃至、老も死もなく、また老死の尽くることもなし。
苦・集・滅・道もなく、智もなく、また得もなし。
得る所なきを以ての故に。
菩提薩埵の、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし。
罣礙なきが故に、恐怖あることなし。
一切の顚倒せる夢想を遠離して涅槃を究竟す。
三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、
阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神呪なり。
これ大明呪、これ無上呪、これ無等等呪なり。
よく一切の苦を除き、真実にして虚しからず。
故に般若波羅蜜多の呪を説く。
すなわち呪を説いて曰く、
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経
さらにわかりやすく! 般若心経の現代語訳。
般若心経ははるか昔につくられているので和訳をしても、まだまだ理解しにくいものです。さらにわかりやすく、現代語訳をご紹介しましょう。
ただし、般若心経の現代語訳はさまざまな解釈があります。参考程度にお読みください。
般若心経の現代語訳(一例)
観音菩薩が、 さとりの世界へ到る修行を実践されているとき、人間の心身を構成している5つのもの(肉体、感覚、イメージ、意思、認識するもの)に実体はないと知らされ、すべての苦しみという災いから救われました。
舎利子よ、 カタチあるものには実体がなく、実体がないものもカタチあるものと異ならないのです。
そして、心身を構成する物質以外の4つの働き(苦楽の感覚、イメージ、意思、認識するもの)もまた同じく実体がありません。
舎利子よ、存在するあらゆるものは実体がない空なのだから、生じること滅すること、汚れること清まること、増えること減ることなどありません。
したがって、カタチあるものは存在せず、今あると思っている4つの働きや、目・耳・鼻・舌・身体・心がなく、それらがもたらす色やカタチ、音、香り、味などもない。目に見えている世界から意識する感覚にいたるまで、人間を構成する要素もありません。迷いそのものがなく、だから迷いがない状態が尽きることもないのです。
また、年をとって死ぬこともがないから、老いて死ぬことが尽きることもない。今あると感じている、苦・集・滅・道もない。知ることがないから、なにかを得ることもないでしょう。
なにもないからこそ、菩薩は智慧の完成を心の依りどころにできるのです。心には妨げるこだわりがなく、そのため恐怖もありません。正しくない考え方や夢想を超越して、さとりの境地を究めます。過去・現在・未来の三世にわたって出現するすべての仏も、このような智慧の完成によって完全なさとりを開かれたのです。
だから、知るべきです。
智慧の完成は大いなる真実の言葉であり、大いなるさとりための真の言葉。
このうえない真言で比類なきすばらしいこの言葉は、自分と他者、すべての苦悩を除くことができます。それは事実であり、虚ろなものではありません。
だからここで、智慧の完成を真実の言葉で説きましょう。
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に到達したものこそさとりそのものです。幸いあれ」
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
般若心経をもっと深く知るためのポイント。
般若心経は奥深いお経で、簡単に理解できるものではありません。しかし、そこに書かれている考えは現代にも通じるものがあり、知れば知るほどおもしろみが感じられます。こちらでは、般若心経への理解を深められるポイントをいくつかご説明します。
般若心経には小本と大本がある
般若心経には、「小本」と「大本」にわけられる2種類があります。小本のほうが早く編纂され、つくられたのは紀元後2~4世紀ごろ。この小本に序文と結末をつけたのが大本で、紀元後4~8世紀ごろにできたと考えられています。
一般的に日本で般若心経と呼ばれるお経は小本で、玄奘三蔵法師が漢訳したもの。ちなみに、中国や韓国など漢字を使用する東アジアの国では玄奘訳の小本を用いられることが多く、インド文化圏のネパールやチベットは大本が常用されているそうです。
文の形式は、お釈迦さまの弟子と観音菩薩の対話
般若心経の現代語訳を読むと〈舎利子よ〉と呼びかける部分があります。この「舎利子(しゃりし)」とは、お釈迦さまの代表的な10人の弟子〈十大弟子(じゅうだいでし)〉のひとり・智慧第一といわれる舎利弗(しゃりほつ)尊者のこと。舎利弗は「シャーリプトラ」「サーリプッタ」とも呼ばれます。
般若心経は、舎利弗に観音菩薩が教えを説いたお経です。対話形式で書かれていることを理解していると、読み進めやすいのではないでしょうか。
色・受・想・行・識の「五蘊」に実体がないと説く
般若心経には、「五蘊(ごうん)」という言葉が登場します。五蘊とは、人間を構成する5つの要素だと解釈されています。
・色蘊(しきうん):肉体などの物質
・受蘊(じゅうん):苦楽などの感覚
・想蘊(そううん):イメージするもの
・行蘊(ぎょううん):意思や意識
・識蘊(しきうん):認識や判断
般若心経は「五蘊皆空(ごうんかいくう)」とし、この5つの要素には実体がないと説いています。わたしたちのカラダや心は〈実体がなく、変化していくもの〉なので、とらわれる必要はないと教えているのです。
4つのパートで構成されている
般若心経は4つの内容で構成されています。最初のパートでは誰がどのようにしてこの思想を得たのかを明らかにし、観音菩薩が修行をしているなかで人間を構成する「五蘊」には実体がないことをさとったと記しています。
2つ目のパートでは観音菩薩が弟子の舎利子に呼びかけ、この世にあるものには実体がなく「空」だと語りはじめます。つづく3つ目のパートは、その「空」の思想をさらに深く説明。実体がないから、そこから生まれる悩みや苦しみは存在しないと説いています。
最後の第4パートはさとりの世界へ到るまでの真実の言葉を伝え、〈羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶〉という「真言(しんごん)=マントラ」が唱えられます。ちなみに、真言(マントラ)は特別な言葉で呪文のような語句のため、完全なる解釈や翻訳はできないとされています。